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注意:音量には十分お気をつけて!

吉井和哉

イエローモンキー(イエモン)時代も好きだったんですが、
ソロになった現在のほうが、個人的には好きなアーティスト。

彼自身、年を重ねてこれまで経験した様々な葛藤や呪縛から
開放されたかのような、自然体で情緒的なリリックが印象的。

年をとると人は落ち着いていくといわれる中、
それは人生の経験値が豊富になっただけのこと。

決して、若いときのソウルが薄れてしまうのではなく、
客観的に自分や世の中のことを考察したり観察できるように
なっただけのこと。

そして改めて自分の道を邁進するためのステップアップとして、
年をとっていくものだと思ったりします。


ギラつきを抑えられなかったイエモン時代を経て現在、

自然体に言葉を発する彼のシンプルな言葉に
あの頃よりギラついた魂を感じるのは、

これからどこへ向かおうとしている答えが
彼の中ではっきりと見えてきたからだと思わずにはいられません^^


“beautiful”



以下、
Wikipediaより。

吉井 和哉(よしい かずや、1966年10月8日 - )は、東京都北区出身、静岡県育ちのミュージシャン、シンガーソングライター。身長183cm。

概要
1986年にアーグ・ポリスでベーシストとして活動した後、1988年にロックバンドTHE YELLOW MONKEYを結成し(吉井はボーカル・ギター・作詞・作曲・プロデュースを担当)、1992年にメジャーデビュー、その後2003年にYOSHII LOVINSON(ヨシイ・ロビンソン)としてソロデビューし、2004年にTHE YELLOW MONKEYを解散する。2006年に吉井和哉と名義を変更し、現在に至る。

人物
オーディオマニアで、自宅には数百万円のオーディオシステムが組まれている。バンド活動休止後に名盤と言われるレコードを改めて聴き直した時、今までは気付かなかった自分の作品とのクオリティの差を痛感し、一時期は音楽を辞めようとまで思っていたという。

趣味は釣り。主に、バスフィッシングを小学5年生の頃からしている。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の芸能人釣り選手権にも2回出演しており、奥田民生と2人でCSの釣番組に出演したこともある。モバイルサイトのブログでは、河口湖や琵琶湖で釣りをしている報告が多々されている。愛車はメルセデス・ベンツ Cクラス C63 AMG クーペ。

デビューとほぼ同時に結婚しており、THE YELLOW MONKEY時代のアルバム『smile』の時期に長女が誕生。レコード会社や事務所の方針でこのことは伏せられていた。娘3人と息子1人がいる。2007年発売の自伝では家族とは別居状態だが、家族関係は良好であると語っている。後の2012年、タレント眞鍋かをりとの交際が報じられた際に、正式に離婚していることが明らかになった。


ここまで引用。

以上。



一青窈

良い顔して歌いますがな一青窈。

一青窈といえば私の中ではやはりこの曲、
“ハナミズキ”。

あまりにも有名ですが、
私も例に漏れず好きな曲です。

女性では低音の声の部類に入る彼女ですが、
メロディを丁寧に辿った歌い方が素晴らしい。

1サビの歌い方を聴けば彼女の歌唱力がよくわかります。

声域はあまり広くないとは思いますが、
それを補って余りある歌唱力があるため、
サビの聴こえがとても心地よい。

情緒溢れる歌詞が彼女の歌声により余計に響いて胸を打つ。


生で聴くほど良さが伝わるアーティスト。

全ての人がそうであってほしいが現実は・・・

それはさておき良い曲はやはりいいもんです^^


“ハナミズキ”



以下、
Wikipediaより。

一青 窈(ひとと よう、1976年9月20日 - )は、女性歌手・作詞家・女優。慶應義塾大学環境情報学部卒。姉は舞台女優の一青妙(ひとと たえ)。


父は台湾人、母は日本人(石川県出身)。台湾語の漢字名は顏窈(イエン・ヤオ)で、「顏」は父親の姓。「一青」は母親の姓。父は九?の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民であった。戦前から戦後にかけて日本に長く滞在していた父と母が出会い、台湾で妙と窈が生まれた。

幼稚園卒園後に父を台湾に残し、母、姉と日本で生活することとなる。小学生2年の時に父が癌で死去。以降、母の姓の一青を名乗る。小学校高学年の頃に宮沢賢治の詩に触発され、詩を書き始める。初等部から森村学園に通い、美術部とバスケットボール部に所属、生徒会では書記を務める。高校生の時に母も癌で亡くす(参考)。

半年の浪人期間を経て、AO入試で慶應義塾大学環境情報学部(SFC湘南藤沢キャンパス)に入学。慶應義塾広告学研究会、ジャズ研究会、K.O.E.(アカペラサークル)に所属し、ストリートライブを行うなどした。K.O.E.で現ゴスペラーズの北山陽一と出合い、自作の詩を見せたところ「お前の詩は面白い。FAXしてくれたらいくらでも曲を付けるから歌え」と提案され、以降自分の詩で歌うこととなる。

その後、小学生の時から書きためていた詩がレコード会社の目に留まり、2002年、「もらい泣き」でデビュー。同曲がヒットし、ファーストアルバム『月天心』で大ブレイク。数々の音楽賞や新人賞を受賞する。2003年、第54回NHK紅白歌合戦に初出場。2004年、「ハナミズキ」が大ヒット。映画『珈琲時光』主演で女優デビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。2006年、初のベストアルバムを発表。

2006年、日本人アーティストとして初めて、カーボンオフセットライブを逗子海岸の音魂(Otodama Sea Studio)で行い、現在(2009年)まで毎年継続している。ベストアルバム『BESTYO』の初版もカーボンオフセットしている。台湾でもCD・DVDが発売されており、『もらい泣き』『大家』『月天心』のジャケットは台湾オリジナル仕様となっている。台湾のキリンビールのCMにも出演し、台湾の愛唱歌『望春風』が使われた。

2008年12月には、岩松了演出の音楽劇「箱の中の女」の主演を務めた。


ここまで引用。

以上。
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